山川陵(やまがーりょう)から本覚山(ほんかくざん) 丘陵東側が王家の脇墓である山川陵で、当初は王妃の墓であったと考えられる(築造年代不明)。西側が1624年造営の金武按司(きんあじ)家の墓で、本覚山はその山号。建築物との対応はこの図からは明らかでない。 部分拡大図6に戻る